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釜山旅行の思い出

お久しぶりの sa-sara のブログです。こちらのサイトが今後、写真のアップロードの容量が制限されるということなので、Instagram と連動させようと思います。釜山は我が推しのJIMINさんの生まれ故郷であり、私の父の一人旅の地でもあり、なんとなく特別な想いを抱いておりました。旅行は4月1日〜4日まで。推し友と一緒にコロナ禍の前あたりから計画を立て始め、昨年秋にようやくセントレア〜釜山便が再開されたのを横目に見つつ、やっと手配をして実現させたのでした。事前に写真で見ながら「釜山てこんなに都会だったんだ!」と驚いてたんですが、現実はそれをもっと上回る都会っぷり。広さも人口も名古屋の約2倍という知識で行ったのに、高層マンションだらけ、車はほぼ大型(小型車がいない)道路も地下鉄も発達している。他に事前に聞いていたのと違ったのは、空港がキムチ臭くなかったし、道路はゴミもなく普通に綺麗だったし、地下鉄の中でもみなさん静かでした。ハングルがなかったら日本にいるような感覚。頑張って挨拶程度の韓国語を覚えて行ったのに、いざとなると全然出てこないのには笑ってしまった。ところが、日本語をカタコトでも話してくれる人がとても多くて助かりました。写真はこちらから。1日目 ↓

2024. 新年

sa-sara です。1月1日から大きな地震、そして飛行機事故、大変な年明けになってしまいました。震源地に近い石川県や福井県の友人知人の安否を、LINEを通じて確認していました。その日のうちに全員が無事との確認が取れましたが、1部の友人たちは高台に車で避難し、収まるまで待機していたようです。現在でもまだ揺れが続いていて、どんなにか怖い思いをして過ごしているのでしょう・・・どうか無事で、暖かくいられますように。 私は家族と一緒に、岐阜県の義父母の家でサッカーを観ていました。ちょうど日本チームが試合に勝利し、インタビューの最中に緊急地震速報と2度目に大きな揺れ。田舎の古い家なので、部屋の壁やら天井やらがガタガタと、今にも壊れるんじゃないかと思うぐらい揺れて、すぐに外に飛び出したほどです。 時間が経つにつれて被害状況もわかり、本当に大きな災害だったんだと思い知らされました。被災された方々が、1日でも早く日常に戻れますように・・・  -------------- 春に釜山旅行に行くことになりました。友人と一緒にこの時を待ち望んでいたのですが、ようやく叶いそうです。 釜山は父が一人旅をした都市でもあり、その時の土産話もいい思い出になっています。父は「日本は酷いことをしたのに、釜山の人たちは本当に親切だった。覚悟をして行ったのに。」という事を言っていたのが、とても印象に残っています。日本がした酷いことって?・・・今の自分なら、父がその当時を生きて見た事の詳細を聞こうとしただろうに、若い私にはそこまで関心がなかったのです。とても後悔。父が何を思って釜山に行ったのか、もう知る術もありません。せめて父が感じた釜山を、私も感じられたらいいな。随分変わっただろうな。 そして釜山は、なんと推しのJIMINさんの故郷。運命?そりゃもう行くしかないでしょ?